Issue 014 森山未來×インバル・ピント
熱量のある奇跡
イスラエルの作家、エトガル・ケレットがロックダウン中に執筆した短編小説「外」の映像化作品「OUTSIDE」が現在オンライン上で公開されている。異国間の移動の制限がある状況下でオンラインツールを駆使して作られた本作品。イスラエルと日本の共同制作に携わるのは、日本でも自身のカンパニー公演や国内舞台作品への演出・振付を手がけてきたインバル・ピント、そして彼女とこれまで多くのクリエイションをともにしてきた俳優・ダンサーの森山未來だ。
自粛解除後も部屋にこもり続けるとある人物と森山演じるテレビ越しの男の間で展開するストーリーは、喪失感、浮遊感、不穏な空気を漂わせながら語られる。同時に、世界中の誰もが過去数カ月で経験した出来事や心の変化を重ねられるはずだ。
ビデオ通話で1名ごとに行われた本取材では、新しい時代にシフトしている渦中で経験したクリエーションについてはもちろん、表現者としてのパンデミックとの向き合い方、そして未来への展望について伺った。
森山未來
人の繋がりが生んだ熱量ある奇跡
―「OUTSIDE」に携わることになった経緯を教えてください。
森山 5月上旬に駐日イスラエル大使館文化部のアリエ・ロゼンさん(文化・科学担当官)とインバルから企画の話をいただきました。遡ると、インバルとの出会いは2013年の舞台「100万回生きたねこ」。ここで一緒に仕事をしたことがきっかけで、文化庁文化交流使として1年間イスラエルでインバル・ピント&アヴシャロム・ポラック ダンス・カンパニー (以下カンパニー)を拠点に活動することになりました。現地で上演した作品「ウォールフラワー」は帰国後に東京都現代美術館でも上演する機会もあり、その後お互いにイスラエルと日本を行ったり来たりする中で交流は続き「なんとか一緒に仕事したいね」と可能性を探っていたところ、今回のお話があったという流れです。
―今回の他の共同制作者には、カンパニーにも所属していたモラン・ミラー、「100万回生きたねこ」「ウォールフラワー」でも音楽を手掛けられた阿部海太郎さんが参加されています。
森山 モランは僕と1シーズン入れ違いでカンパニーにいたダンサーで、「ウォールフラワー」日本上演時に一緒に踊って以来の共演です。阿部海太郎さんは仰った2作品も参加してるし、「100万回生きたねこ」で振付助手だったエラ・ホチルドと僕のデュオ公演「SAL」に参加してもらったこともあって。その時の会場も今回会場協力いただいたスパイラルだったし、みんな繋がってるんですね。
―もともと関係性を築いていた方同士で、このような特殊な状況で「OUTSIDE」を作ることになったわけですが、やはり稽古場に入って振付や演出を受け、生身の身体同士で試行錯誤する普段とは異なることも多かったのではと察します。まず撮影前はどのような準備があったのでしょうか。
森山 家の中にいる人物(モラン)とテレビの中から演説をしている政府高官らしき人がいて、次第にやり取りの距離が近づきパーソナルな会話になっていく。箱=テレビの密室空間で体を動かすアイデアや衣装のイメージも最初の時点で話されてました。僕はダンスより喋りの方が多いので、エトガルとインバルからはどういうニュアンスで喋るかのディレクションが多かったですね。そのセッションを撮影前に2-3回しました。
箱の中での動きは事前に試しに作ってみたものの、結局実際の箱が用意される撮影当日にバーッとやってくしかなかったので厳密な振付は撮影段階までない状態でした。
Photo: Noam Levinger
―撮影現場はいかがでしたか。振付家と演者の関係性も、従来から異なるところもあったのでは。
森山 ビデオ通話越しにエトガルとインバルにモニターを共有しながらあれこれ指示を受けながら進めたので、とにかくやりとりに時間がかかってしょうがなかったです。微妙なニュアンスをダイレクトにやりたいけどビデオ通話ではニュアンスが届きづらい。でもインバルとは長い付き合いなので、彼女の直感的な物事の立ち上げ方、身体を通してどんなビジュアルを求めるか、言葉のニュアンスはきっとこういうイメージなんだろうなと、すでに共有できてる感覚はありました。
―これまでの経験でお互いの温度感を分かり合ってる部分が大きかったんですね。
森山 インバルは何度も来日して仕事をしているので、言葉の内容自体は分からなくても日本人のメンタルや表現の仕方、言い回しのニュアンスは多少理解しているだろうと思います。僕の日本語での演技もなんとなく汲んでる印象はありました。ただ、そもそも言葉の世界でやり取りをする演劇と違って、ダンスの世界では自分の中で起きてることを言葉にしなくても伝え、捉える力があります。いるだけでにじむ身体性ってあるじゃないですか。どんなに綺麗な形の踊りでも、どういう人間がどういう気持ちで踊ってるかというところを見ると思うので。これは振付家に限らず、素敵なアーティストというのはそういうところで対話をするものだし、インバルもそういう人です。
―日本の撮影スタッフはどのように集まったのでしょうか。
森山 「この短期間でアイデアを形にできるスタッフはいるか」とインバルに聞かれ、僕がいつもお世話になってる皆さんに声をかけました。自粛期間中にオンライン配信企画も行っていた「きゅうかくうしお」(森山とダンサー・振付家 辻本知彦が2010年に立ち上げたユニット)のメンバーとの繋がりも大きかったです。舞台技術に河内崇、映像監督にイスラエルでの活動歴もある松澤聰、最後のアフレコは中原楽に頼みました。スパイラル(ワコールアートセンター)には進行役で入っていただきました。いろんな舞台芸術が制限された状態で、みんな「飢えてる」っていうのもあったし、何よりそういう風に突きあがってくる刹那的なものに対して全員献身的に動こうというモチベーションがあった。
今回の一番のミラクルはリモートの切れ切れでもどかしいやり取りの中、これだけの短期間でちゃんと人が集まって、大きな熱量を持ってクオリティを追求して作品を完成できたということ。実質2週間で諸々スピーディに動いて、本当に人と人との繋がりで立ち上がった!と感動しました。災い転じて…ですよね。
Photo: Noam Levinger
価値転換の最中に潜むチャンス
―日本の緊急事態宣言を受けての自粛中の過ごし方は、イスラエルはじめ世界各国の対応と比較すると法的な罰則もなく緩いものだったと思います。クリエイションを通して隔離生活に対する意識の差を感じることはありましたか?
森山 そこに対してはあまり感じなかったです。もちろんイスラエルの軍隊と民間の関係性や圧力のかけ方、例えば無許可に外出しただけで軍に組み伏せられることがあるというのは、日本人の感覚から大きくかけ離れたものだと思います。「OUTSIDE」には『やせっぽちで口の周りに髭を生やしかけた少年が君に石を投げつけてきた、それはなんとなく覚えてるか』というテキストがあって。これは4ヶ月の隔離生活でぼんやりしてしまったコロナ以前の日常で、何が起きてたかを僕が女性に対して語りかける時の台詞になってます。実はイスラエルにいた時、街中を歩いてたら建物の屋上からアラブ系の子供に唾を吐きかけられたことがあるんです。彼らは日常的に人種的もしくは宗教的差別を受けている中、きっと彼らなりに弱者を見つけたくて、それが俺だったのかなあと想像していました。でも時を経てエトガルのテキストを読んだら、それは普通のイスラエル人でも経験しうる、格差や対立を感じる日常風景だったのだと気づきました。
こういった細かな描写に関しては人によって理解できないところもあるけど、大きな作品の枠としてはどの国のどの人にも共有できることが描かれてると思いました。今僕たちがこうやって喋ってるリモートでのコミュニケーション、人同士が乖離したり近づいてく過程は普遍的なことだと思います。
―国内でもオンラインでの試みが多く見受けられましたが、「OUTSIDE」の二国間でのクリエイションと比較して感じたことはありますか。
森山 うーん、どうでしょうね。まだ俯瞰して見れないですけれども。インターネットを通じて配信される時点で基本的に世界中の誰にでも開かれたものになるけど、必然的に身近な人同士でドメスティックに作らざるを得ない状況になりましたよね。これまで「グローバルであれ」と謳った結果、日本全国の駅がどこも似た開発計画をやって同じ顔になったり、世界中どの都市に行っても同じファストファッションの店が並ぶ状態になってる。人と人がすごく遠くにいても繋がれるシステムが構築された結果そういうことが起きてて、そういう状況を自覚的に感じることってなかなか難しいと思うんですよね。でもこの(パンデミックの)機会に生まれてきた作品は、そういう自覚を促すチャンスになるのかもしれないなと。
―確かに、価値転換の真っ只中で客観的に何かを話すのは難しいところです。チャンスはどんなところにあると思いますか。
森山 このタイミングで世界中で生まれてる作品たちは、物理的・時間的に限られた状況で作られてて、熱量・荒さ・技術が渾然一体となってる可能性がすごく高い。だからクオリティを求める一方で出てくるある種の拙さがどう捉えられるかは気になるところですね。
キャリアも技術も豊かに積み重ねた人々が色んな試みをしている現在から何が立ち上がるのか。次の時代に変化していくときに、今作られてるものから何かが新しいメディアとして後世に残ってくかもしれない。そういうものを踏まえつつ今の時期の作品をどう見るかだなと。それは特定の作品なのか行動自体なのか、これから先何が生まれて僕らの価値にどのような変化を起こすか、予測はつかないけど楽しみだなと思います。
―このような特殊な時期を経て、それまで当然だったこと、逆に珍しかったことが違って見えてくると。
森山 僕も最初はリモートに対して抵抗があったけど、いずれ慣れていくじゃないですか。それを経て改めて生で会った時に「うわっ3D!」みたいな(笑)生で何かが起こる、何かに関わること自体の貴重さを感じました。いつか生でコミュニケーションをとって作品が立ち上がった時の感慨もひとしおでしょうね。
―そのような感覚が、今後作品と発信メディアとの付き合い方にも変化を起こしそうです。
森山 自分も自粛期間中にいくつかのオンライン配信作品に参加しましたが、常に意識していたのは、舞台をただ切り取って配信する映像作品には一切したくないということです。「やっぱり劇場に行きたい、生で見たい」と思わせるだけの作品にはしたくない。何かしらの作品を映像に収めた時に「このメディアを使ってるからこそ面白く見られる作品」であるべきだという思いでこの時期はそれぞれの作品に関わってきました。そういう意味では(「OUTSIDE」も)新しい表現の可能性につながっていればいいなと。
『OUTSIDE』メイキング動画より
―今後コロナとの共生が言われている中で、森山さんがこれまでに持っていらした意識を他の方もどんどん問い・試みとして立てていくと思います。そういう時にご自身の表現や作品の形態はどう変化していくと思いますか。
森山 ここ数年は自分でも作品作りをやってきてるので、そこでどんなものを提示したいかという意識はもちろん持ちながらやるし、純粋にパフォーマーとして関わる時も変わらないのは -これはインバルから学んだことでもあるんですけど- やはり対話は欠かせないということ。クリエイションでの対話はトップダウンのヒエラルキーのないフラットなもの。お互いにやったら面白いと思うこと、作品のあるべき姿に向かって議論を重ねてく、「そうするならこちらはそうしよう」…そういう対話を僕もやらせてきてもらったし、どこに行ってもそのスタンスは変わりません。
これからも何かがすごく変化していくのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも結局僕はこの身体自身を売りものとしてやってきていて。例えば絵を5枚ぐらい描いて世界中の美術館に展示する、みたいなことができるわけではなく、僕はこの身体一つをどこかしらに持っていって提示していくしかないので。やることとしては変わらない、というか変えられないですね。
―最後に、Alexandreの読者にはダンスフィルムをサブミットする世界中のクリエイターも多くいます。この特別な同時代を生きるアーティストである彼らに一言メッセージをお願いします。
森山 そうですねぇ。いつか生で会おうねと(笑)
インバル・ピント
世界、人が近くなっていく奇跡を生きている
―このプロジェクトはどのように始まったのですか。
ピント 5月上旬、世界中の人々が家でロックダウン生活を始めて1ヶ月半経った頃に始まりました。ロックダウンが始まる前、私はイスラエル・オペラの作品を演出する予定で、日本でも演出・振付・美術を担当した村上春樹原作の舞台「ねじまき鳥クロニクル」が公演期間半ばで中止となりました。不確かで脆い雰囲気が漂う中で、私はこの制約のある時期にふさわしいクリエイションの道を探していました。このクライシスとしばらくの間共生するだろうと考えていたからです。
駐日イスラエル大使館文化・科学担当官のアリエ・ロゼンさんから電話をもらったのはまさにその頃でした。『何かやろう』と言うので私も興奮して『やろう!』と、具体的なことは何も見当がついてないのに一つ返事で決まりました(笑)
―なぜエトガル・ケレットの「外」を原作に選んだのですか。
ピント エトガルとのコラボレーションはアリエさんのアイデアでした。原作を読んだ時、こんなに短い小説の中に見事に今の時代を凝縮した素晴らしい描写だと思いました。
最近になってエトガルの物語は現実とイマジネーションの世界をつなぎながら、ただ私たちの生活を反映しているだけでなく、予見的な役割も果たしていることに気づきました。日本での映像公開について発表した日、日本の新聞記事で政府が国民に家から外へ出るよう求める「Go Toキャンペーン」について読みました。まさにエトガルの物語と一緒です。
Photo: Lielle Sand
―世界中で似た考えが共時的に起きていると言えますね。原作決定以降、キャスティングをはじめとしたクリエイションはどのように進んだのでしょうか。
ピント エトガルと私で対話し始め、自分たちをその時々で取り囲む状況によって様々な提案がされ、変化していきました。何年か一緒に仕事をしてきたダンサー、モラン・ミラーもミーティングに参加しました。私にとって、自分の身体言語とエトガルの言葉の世界が一つのランゲージに統合されることは大事でした。台本がまとまってきたところで、私と過去にコラボレーションの経験があるユニークなアーティストたち、森山未來と音楽家の阿部海太郎に連絡を取りました。
―撮影含め、全体で非常に時間が限られていたと察します。事前準備の内容はどんなものでしたか。
ピント このパンデミック期間に作品を仕上げて発表することは大きなチャレンジで、結果限られた時間を課せられました。現場撮影できるのはたったの1日。だから私のアパートメントの部屋で事前に全て計画し、どう物事が進むか、動きの繋げ方、未來とモランの関係性など、多くのことについて想像力を働かせて理解する必要がありました。未來とモランは個別にビデオ通話でリハーサルを行って、私とエトガルからディレクションをしました。セッションの中では役について遊びのあるアイデアや意図、動きを交換しながら、今私たちが話してるみたいに、スクリーン越しのコミュニケーションで起こるごくシンプルな仕草も取り入れようと検証しました(微笑みながらスクリーンに顔を近づけて)こんな風にね。
―森山さんもまさに映像でそのような動きをしていましたね。他に森山さんとアイデアを交換するにあたって工夫したことはありますか。
ピント 私が描いたイメージ画も見せました。これは私が自分の世界に他者を招き入れるため、少しでも理解してもらうためのツールの一つなんです。
Drawing: Inbal Pinto
ピント 未來は過去に私と何度もコラボレーションしてきたので、すでに様々なアイデアや知識を交わしてきました。そういう意味ではコミュニケーションをとるのがとても心地よかったですね。私の動きの美学、スタイルを自然に捉えて伝える力がある。長期にわたって芸術的な関係性が築かれていると、コミュニケーションとは言語、言葉を超えるものです。未來は並外れて多くの才能に恵まれたアーティストです。彼と仕事をすると表現の幅が広がるんです。
『OUTSIDE』メイキング動画より
―森山さんも、このプロジェクトの過程で感じた、言葉を超えた対話を通して感覚を共有すること、そして人同士のつながりや熱量への感動についてお話されていました。
ピント 私たちは近しいリアリティを共有していました。東京とテルアビブで素晴らしいクリエイティブチームを集めることができました。このようなクライシスの時でも別の方法でクリエイションをできることに、全員が興奮していました。他の状況では起こり得なかったと思います。
―舞台と映像、それぞれのクリエイションにおいて感じた違いはありますか。
ピント ダンス作品は初演でプロセスを終わらせず、舞台上で発表した後も作品を深化させ探求し続けます。撮影の翌日、前日の撮影内容からどこを変えたいか、どこが改善できるか沢山考えながら目覚めたことを記憶しています。でも今回は違う方法をとる必要があって、映像の編集段階にも多くの選択肢があることに気づきました。
―クリエイション全体を通じての発見とは。
ピント 世界を小さくして、遠く離れた人々を近づけるミラクルでした。それぞれの自宅にいてもなお、つながるチャンネルを見つけ出して何かを創り出すことができる。個人的には、映像の世界に素晴らしい方法で関われたことで、もっと映像に関わりたいと強く思いました。
『OUTSIDE』メイキング動画より
変化する境界の中で水のように変わり続ける
―『OUTSIDE』のストーリーについて、ヒューマニティの観点で感じたことはありますか。
ピント これは自宅でロックダウンを経験しているとある女性の視点から描かれたものです。一人称がイスラエル人女性であることが描写から推測できますが、描かれている心の動きは誰もが経験しうるものだと思います。フィクションとして描かれている社会的な隔絶とその影響のリアリティは、私たちの魂を揺さぶるものだと思います。
―このパンデミック期間が終わった後に起こりうることについて、予想していることはありますか。
ピント 私は楽観主義者です。世界が元に戻った時、舞台芸術はまた花開くと思います。文化、そしてアーティスト・観客の直接の出会いは魂にとっての栄養です。でも同時に、今起きている状況の結果として新しい視点での表現も発展することを願ってます。
―ウイルスとの共生が謳われていますが、あなたの創作姿勢に変化が起きると思いますか。
ピント 私は水みたいに生きているんです。全ての芸術家はそうなんじゃないかしら…柔軟で流動的、境界が変わることで自身も変わっていく。制限はクリエイティブプロセスにとって良いもので、新しい表現を模索させます。現に自分の中でどんどん新しいアイデアが育っていくのを目の当たりにしました。制限がなければ映像にも挑戦しなかったでしょう。新たなプラットフォームで振付とクリエイションをすることになったし、それらの自分にとっての価値を改めて認識しました。確かに世界は医療的・経済的に重大な局面を迎え、生きることの困難を私たちに突きつけています。でもクリエイターとしての視点で話をすると、制限は成長を促すものです。芸術が存在する隙間を見つけて、新しい可能性を知りたいです。
―水のように流動的であること。とても魅力的な考え方です。
ピント ムーブメントとは身体的(物理的)なこと、精神的なこと、両方に言えます。前進すると言う考えがある限り、新しい可能性は作られ続けるでしょう。このプロジェクトは小さなムーブメント、(アリエからの)たった一つの着信から始まり、異なる国の人々をコラボレーションのために寄せ集め、7分間の映像作品として形を成したことはずっと忘れずにいたいものです。
Interview & Translate: 瀧瀬 彩恵
Photo: Noam Levinger
森山未來 (Mirai Moriyama)
1984 年兵庫県生まれ。5歳から様々なジャンルのダンスを学び、15歳で本格的に舞台デビュー。以降、ダンス、演 劇、映像などのカテゴライズに縛られない表現者として活躍。2013 年インバルが振付・演出をてがけたミュージカル 『100 万回生きたねこ』への出演がきっかけで、文化庁文化交流使としてイスラエルに1年間滞在、インバル・ピント &アブシャロム・ポラックダンスカンパニーを拠点に、ヨーロッパ諸国で活動。その後もカンパニー公演『WALLFLOWER』 (東京都現代美術館)やエラ・ホチルドとの共演『JUDAS, CHRIST WITH SOY〜太宰治「駈込み訴え」より 〜』などイスラエルと縁のあるアーティスト。11月27日に主演映画「アンダードッグ 」公開予定。
Photo: Lielle Sand
インバル・ピント (Inbal Pinto)
1969年生まれ。国立ベツァレエル美術アカデミー卒(グラフィック・アート)。 バットシェバ・アンサンブル、バットシェバ 舞踊団を経て 92 年に自らのカンパニーを結成。以来『オイスター』、『ブービーズ』など革新的で想像力に満ちた傑作を発表。
2000 年『WRAPPED』でニューヨーク・ダンス&パフォーマンス賞ベッシー賞を受賞。2007 年には、彩の国さいたま芸術劇場とカンパニーの共同製作により「銀河鉄道の夜」をモチーフとした『Hydra ヒュドラ』を世界初演。2016 年にはカンパニー作品『DUST』をさいたまで公演。オペラや演劇、CM の分野でも活躍。ミュージカル『100 万回生きたねこ』(2013)、『WALLFLOWER』(2014)、2020 年には村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の演出・振付・美術を手掛けており日本でも積極的に活動を展開。
<『OUTSIDE』概要>
森⼭未來x阿部海太郎
インバル・ピントxエトガル・ケレット
『OUTSIDE』
〜Withコロナ時代の国際共同制作の挑戦〜
公開 :
Spiral Web
https://www.spiral.co.jp/outside
彩の国さいたま芸術劇場
https://www.saf.or.jp/arthall/stages/detail/7908
原作/監督:エトガル・ケレット 『OUTSIDE』(和訳版『外』)
振付/監督:インバル・ピント
ナレーター/俳優/ダンサー:森⼭未來
ダンサー:モラン・ミラー
⾳楽:阿部海太郎