Issue 019 リル・バック
つま先立ちの革命児
現在ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺にて公開中ほか全国順次公開されている映画『リル・バック ストリートから世界へ』。ヨーヨー・マの演奏で踊った「瀕死の白鳥」が偶然スパイク・ジョーンズによって撮影され、YouTubeで拡散されたことで一躍有名になり、世界のひのき舞台で活躍するようになったダンサー、リル・バックの軌跡を追った珠玉のドキュメンタリー映画だ。
テネシー州メンフィス発祥のストリートダンス“メンフィス・ジューキン”に夢中になったリル・バック。奨学金を得てクラシックバレエのトレーニングも受けた彼はストリートダンスとバレエを融合させた。強靭なつま先で踊るダンスは一度観たら決して忘れられない。マドンナ、シルク・ド・ソレイユ、ニューヨーク・シティ・バレエ団など一流のアーティストと共演し、数々のCMや企業とのコラボレーションでも知られる革命児リル・バックと、Alexandreはzoomインタビューを行い、彼の驚異的なダンスの秘訣と、若い人たちへのメッセージを受け取った。
愛するメンフィスの光となった
映画『リル・バック ストリートから世界へ』では、リル・バックの育ったメンフィスの街が美しく捉えられている。全米有数の犯罪多発地域で、公民権運動のキング牧師が暗殺された場所としても知られている。かつてこの街にあったクリスタル・バレスというローラースケート場が、ジューキンのダンサーたちが腕を競った場所だった。北京大劇院やルイ・ヴィトン財団など大きな舞台で彼が踊った様子も映画には登場するが、誰もいないメンフィスの駐車場で踊る姿がもっともスケールが大きく印象的だった。彼が愛してやまない原点、メンフィスのシーンは、今はどうなっているのだろうか。
リル 「メンフィスの街は、今や僕が誇りに思えるような繁栄を見せていて、とてもうれしく思っています。これまでメンフィスはたくさんの才能が埋もれている都市でした。ここにいる人たちにはあまりチャンスは与えられてこなかった。だから多くの才能ある人たちは、アトランタやほかの都市へと移っていったのです。でも、世代が変わって、ソーシャルメディアなど様々なチャンネルを通して、自分をプロモートできる世の中になり、才能ある人がチャンスを掴む可能性が広がりました。また、僕たちの活動を通して、メンフィスという街のカルチャーが外の人にも広く知られるようになったのではと思います。例えば90年代には、メンフィス・ジューキンを学ぼうとメンフィスにやってきた人たちや、ジューキンを自分のダンスの中に取り入れようとしていた様々な振付家がいても、メンフィスの人たちは自分たちのオリジナリティをよその人たちに奪われないために、長い間、ジューキンをアンダーグラウンドなものにとどめていました。」
リル 「でも、今では誰もがメンフィス・ジューキンを知っていて、そしてオーセンティックな形で僕たちが皆さんにお見せして、そのルーツもしっかり見せることができています。世界の、そして日本の皆さんにも関心を持ってもらえるようになったのです。僕たちがメンフィスでやってきたことについて、ようやく世界が注目し、興味を持ってもらえるようになりました。だから僕たちはもっともっと盛り上げていきたい。子どもたちや若い人たちもたくさんの人がジューキンに夢中になっていて、またメンフィスのダウンタウンでもミッドタウンでもいろんなところでアートシーンも活発になってきていますね」
バレエダンサーの強靭さにあこがれて、クラシックバレエを学ぶ
映画の中で、リル・バックは奨学金を得て、ニュー・バレエ・アンサンブルというメンフィスのバレエ団付属の学校でバレエを学ぶ様子が登場する。貧しい子どもたちにもダンスを教えることで、暴力から遠ざけるという社会的なプログラムの一環だ。クラシック音楽に合わせてジューキンを踊るというのは、芸術監督のアイディアでもあった。なぜ、ストリートダンスのダンサーがクラシックバレエを学ぼうとしたのだろうか。
リル 「あの当時、僕はまだジューキンのダンサーとして一流とは思われてませんでした。本当のメンフィス・ジューカーのレベルに達していなかった。それで僕はもっとダンスが上手くなりたくて、他の人はやっていないバレエを学ぶことにしたのです。黒人の男性がバレエのレッスンなんてと言う人もいたと思いますが、ただ、僕の周り、一緒に育っていった友達は、そうした偏見をぶつける人はいませんでした。」
リル 「実際はバレエに対する偏見というのはあったと思うのですが、運よく僕の耳には入りませんでした。僕は本当に強靭なダンサーになりたかったから、バレエを始めたのです。ストリートダンスの世界において、自分が抜きんでた存在であることを証明しなければならないと思っていました。とにかくできるだけ早く良いダンサーになりたかったし、周りのダンサーたち以上に、できるだけ多くのことを学んで一段上に上がりたかったのです。メンフィス・ジューキンはフリースタイル指向のダンスなので、自分自身の創造性を取り入れて、自分のスタイルの中からベストのものを引き出すことができます。バレエを学ぶことで、ダンスはアートなんだと気づき、僕の創造性にインスピレーションを与えてくれる様々な源泉によって新しい動きを創ったり、学んだりすることができるようになりました」
リル 「バレエダンサーの強さに僕はいつも魅せられていて、彼らのテクニックを身に着けたいと願っていました。つま先で踊って、片足で長いことバランスをとることができるようになりたい、彼らがどうやってその強靭さを手に入れているのかを学びたいと思ったのです。メンフィス・ジューキンのテクニックを毎日磨いていましたが、ほかのダンスのテクニックや、芸術の形を取り入れて、僕の情熱であるジューキンをより素晴らしいものにしたいと考えました。もし外野が雑音を入れたり、偏見を持っていたりしたとしても、そんなことは僕にはどうでもよかった。僕はとにかく良いダンサーになりたかった。様々なダンスのスタイルにおいて本当にすごい実力を持てたら、周囲の人が何と言おうと決して負けないし、誰も僕を変えらません。僕はすごいダンサーになりたかったから、バレエを学んだのであって、黒人の男がバレエをやるなんて、という偏見に取り合うことはありませんでした。」
つま先で踊るのはクール。だから血だらけになっても練習した
リル・バックのダンスで何より特徴的なのは、バレエで得られた優雅な上半身もさることながら、強靭でしなやかな足首とバランス感覚、そしてつま先立ちのテクニックだ。映画の中では、1週間で1足のスニーカーを履きつぶして、足が血だらけになるまで練習していたと彼は語っていた。あの驚異的なつま先の技術はどうやって手に入れたのだろうか。
リル 「つま先立ちで踊ることについて興味を持ったのは、メンフィス・ジューキンのダンサーたちを直接見たり、映像で見てみたりしたときに、彼らの多くがつま先立ちで回転していたからです。あまり長い時間つま先で立っているわけではなかったのですが、いくつかの動きの中でこれをやっているのが、とてもクールに感じられました。どうすればそれができるか、僕は学びたかった。僕は当時ヒップホップのダンスグループに所属していて、バレエスタジオでヒップホップを練習していました。そこで実際にバレエダンサーたちが踊る姿、目の前でつま先立ちで踊っているのを見て、しかも長い時間その状態を保っているのを見て驚いたものです。それで、同じことを自分もやってみたい、あのような強靭さとテクニックを身に着けたいと思うようになりました。」
リル 「そのころ僕は15,6歳でとても競争心がありました。そこで僕はつま先立ちをスニーカーでやってみたいと思い、たくさん練習してみました。裸足にソックス、そしてスニーカーを履いて練習したのです。自分で様々なカリキュラムを作って、できるだけ長い時間、つま先立ちで踊ることができるようにやってみました。僕はまだトウシューズを履いて踊ったことはありませんが、スニーカーで練習していても、足先が血だらけになったり、爪が剥がれたりしました。でもいつかトウシューズにも挑戦してみたいですね。」
リル 「僕はバレエ団で4年間学びました。毎朝バーレッスンをして、そのあと1時間センターでのレッスンも行い、また新しい振付を覚えて舞台に立つリハーサルもしていました。そのころバレエ団は学校などへのアウトリーチ活動もたくさん行っていたので、多くの作品を覚えてパフォーマンスする機会があったんです。でもバレエで得たものは、バーレッスンやセンターでのレッスンを通して得た、ダンサーとしての基礎、そして精神的にも鍛えられたことでした。とても楽しかったです」
■リル・バックの運命をかえた3分45秒の動画(2011)
場所は、とあるチャリティパーティー。世界的チェリストのヨーヨー・マの演奏で踊るリル・バックをスパイク・ジョーンズ監督が携帯で撮影し、投稿した動画。誰も見たことのない『瀕死の白鳥』。これでリル・バックは一気に世界的注目を浴びました。映画『リル・バック ストリートから世界へ』ではスパイク・ジョーンズが登場し、この時のことを振り返っています。引用元: MOVIOLA note
自分の個性を、ムーヴメントを通して輝かせよう
世界中の大きな舞台で踊り、様々なトップアーティストとのコラボレーションによりストリートダンスの概念を塗り替えたリル・バック。今はロサンゼルスを活動拠点としているものの、自らの原点、愛するメンフィスでも青少年への指導を行うなど後進の育成も行っている。ダンスを愛してやまない彼にあこがれる若いダンサーたちにも、暖かいメッセージを贈ってくれた。
リル 「僕が、ダンサーとして成功を収めた唯一の人間というわけではありませんが、厳しい環境からダンサーとしての夢を実現して、キャリアを築くことができた人は多くはありません。メンフィスでダンサーとして活動し成功することは大変なことですが、僕が与えてもらった才能を使って、みんなにインスピレーションを与えられることはとても幸せだと思っています。一生懸命に努力をして、経験してきたことを伝えて、みんなの夢を支えられたらと思います。もし本当に信じるものがあって、本当にダンサーになりたくて情熱を持っているならば、その夢を持ち続けて一生懸命強くなって上手くなろうと学んで練習し続けること。そうすれば、自分の個性を、ムーヴメントを通して輝かせることができるはずです。」
リル 「僕はバレエを通して、毎日同じことを根気よくやり続けることを学びました。また、周りと動きをそろえること、先生の話をよく聞くことも。同時に、これは教えられたことではないのですが、ダンスを通して、自分が何者であるのかということを知ることが大切だと思います。学ぶことの情熱に火を注いでくれたのは、自分への探求心でした。自分がダンサーとして何者であり、何ができて、ほかのダンサーとは何が違うのか。そう探究することで、自分自身のスタイルを作り出すことができたと思っています。ほかのダンサーたちから学ぶことも大切です。ほかのダンサーと一緒に踊り、舞台に立つことは大事ですし、同時に個性を持つことも大切なんです。」
リル・バックが世界的なスターとなったのは、幸運が味方したということもあるが、ただひたすらダンスが大好きで、自分のスタイルを求めて踊り続けていたからだ。その情熱が、彼の運命を切り開いていった。
リル 「僕たちが内に秘めている情熱を通して自分自身を発見していくこと。何年も何年もの間、自分の持てる時間のすべてを献身的に捧げるものがあったなら、自分がこよなく愛するものであり、そして楽しめるものだったら、その情熱は決して死ぬことはありません」
リル 「自分自身が何者であるか、ダンスを通して自分自身の個性を発見し、その事実によって僕はダンスに寄せる愛情を持ち続けることができています。僕は子どもの時にいじめられていたことがありました。とてもつらい経験で、その頃は自分自身を受け入れることができませんでした。自分が何者であるのか、どんな人になるべきなのか、わかっていなかったからです。そんな僕をダンスは救ってくれて、ジューキンは僕を助けてくれました。ダンスによってアイデンティティをみつけることができ、ダンスをやればやるほど自分自身について知ることができて、どんどん幸せが増していったのです。「僕はダンサーで、ダンスについて情熱を持っている」という本当の自分を知ることができたからです。」
情熱を燃やして、唯一無二の存在になる。
リル 「若いダンサーたちには、“ダンスに本当に情熱を持っているのなら、それはあなたのインスピレーションの源泉であり、ダンスは人生において自分が何者であるかということを発見するため、その中で自身の個性を発見するためのツールとして使ってみるといい”と伝えたい。同時に、未知への恐怖によって未来を左右されないことも大切です。」
リル 「僕自身もダンサーとして成功するかどうかなんて全くわかりませんでした。でも、本当に成功するためにはとても良いダンサー、上手いダンサーでなければならないということはわかっていたので、とにかく上手くなれるように、そして観客から見てもらえるように、際立った存在になれるよう努力しました。同時に良い生徒であること、また周りと上手くやっていくことも学びました。だから、ダンスに対して情熱を持っているなら、できる限り学び続け、幅広くオープンに周りを受け入れ、自分自身を確立すれば、それはダンスの動きになって現れ、個性のある本当に良いダンサーになれると思います。そうやって、唯一無二の存在になることです」
「MOVEMENT ART IS」(M.A.I)というミッション
Netflixのドキュメンタリー「MOVE-そのステップを紐解く」では、ポッピン・ダンサーのジョン・ブーズとの活動が取り上げられたが、これも後進の育成に関わってくることだ。
リル 「僕にはミッションがある、と思っていて、それは後続するダンサーたちをインスパイアしていきたいということ。僕のストーリーは夢物語ではなくて、実際に達成することができるんだよ、ということを伝えたい。そして、ダンスという芸術形態は、それによって色々なことができるということをもっと皆に知ってもらいたい、エンタメとして消化していくのではなくて、経済的格差や社会的格差をも乗り越えさせてくれるものだし、世界を変える立派なツールになるんだよ、ということをメッセージしていきたいと思っています。だからこそ僕は友人のジョン・ブーズと一緒に「MOVEMENT ART IS」(M.A.I)というプロジェクトを始めました。またM.A.Iの活動で、音楽と映像を融合させ、複数のメディアを通して、自分たちのメッセージを拡散させていって、ダンサーたちをエンパワーメントさせていきたいと思っています」
リル 「僕たちはM.A.I.で自分たちにとって大きな意味を持つさまざまな物語、僕たちの身の回りに根差していて、社会を変える助けになるような物語を語ろうとしています。だから『Color of Reality』という作品で、今アメリカで起こっている警察権力による暴力やブラック・ライヴズ・マターの問題を描きました。それは僕たちの身の回りで起こっていることです。また『Am I A Man』という作品では、黒人の刑事収容に関する物語を題材にしました。僕たちはいつも、耳を傾けられるべき物語を語るため、私たちの身の回りの社会で起こっているさまざまな出来事に注意を向けるためにM.A.I.を使ってきましたが、今度は長編映画にもチャレンジしたいと考えています」
■Color of Reality(2016)
リル・バックが設立した非営利団体「Movement Art Is(M.A.I)」が、画家のアレクサ・ミードと共同制作した作品。
テーマは、警察による黒人男性への残虐行為。リル・バックとジョン・ブーズが全身で表現する、怒りや悲しみ。多くの人に届くべき、素晴らしい一編。 引用元: MOVIOLA note
■Am I a Man?(2017)
「Movement Art Is(M.A.I)」による黒人の刑事収容に関する物語を題材にした作品。
※「Movement Art Is(M.A.I)」
リル・バックが、ダンサー/振付師のジョン・ブーズと共に設立した非営利団体。「身体表現を通して世界を変える」ため、映像作品やパフォーマンスを発表。黒人への暴力や差別が消えない社会へ、ダンスやアートでメッセージを投げかけている。 引用元: MOVIOLA note
日本の観客のみなさんへ
リル 「僕がこの映画から受け取って欲しいのは、生まれがどこだろうと、どんな文化や環境の中で育っていようと、何かに情熱を持って自分の愛することをやっているなら、何ものにもそれを止めさせるなということ。他の誰かに、自分のやりたいことを支配されないでほしいということです。自分には成し遂げられるんだと信じてほしい。人はどんな方向にだって自分の人生を持っていけるということ。ビッグになりたいというのでもいいし、ダンスがしたいというのでもいい。自分の気持ちを声に出して。それを人に届ける。君にはその力がある。世界が自分のことを信じてくれないなら、それ以上に自分のことを信じてほしい。それがこの映画で伝えたいことです」
大好きなダンスについて語りだすと、何時間でも話し続けてしまいそうなほど熱くなってしまうリル・バック。この情熱が、今の成功と、これからもダンスを進化させていく原動力となっていることを実感させられるインタビューだった。奇跡のダンサー、リル・バックの軌跡と、美しく驚異的なダンス、そしてメンフィスの豊かなストリートダンス文化に触れられる『リル・バック ストリートから世界へ』ぜひ映画館で観てほしい。
INTERVIEWER & WRITER : 森菜穂美
リル・バック / Charles “Lil Buck” Riley
1988年、シカゴに生まれる。8歳でテネシー州メンフィスに転居し、メンフィス発祥 のストリート・ダンス“ジューキン”に出会う。その後、奨学金を得てメンフィスのバレエ・カンパニー、ニュー・バレエ・アンサンブルのレッスン生となり、芸術監督の助言でジューキンとバレエを融合させて名曲「白鳥」(「瀕死の白鳥」)を踊る。
2011 年、そのダンスが世界的チェロ奏者ヨーヨー・マの目にとまり、ヨーヨー・マの演奏で「 白鳥」を踊り 、その様子を映画監督 スパ イク・ジョーンズが携帯で撮影し、YouTubeにアップすると 、たちまち評判となり300万ビューを超えた。これを契機に、活躍の場を世界中に広げていく。そのほか、ジャネール・モネイ「 Tightrope 」 のMV 、シルク・ドゥ・ソレイユ「 マイケル・ジャクソンONE 」 への出演 、マドンナのツアーへの参加 、ルイ・ヴィトン財団での公演 、ヴェルサーチェやナイキとのオリジナルスニーカーのコラボレーション、ユニクロやGAP、AppleのCM出演など多彩な活動を続け 、最近ではディズニーの実写映画『 くるみ割り人形とねずみの王様 』でモーション・キャプチャーを担当 、2021年6月からはTVシリーズ「ブラインドスポッティング」各回のダンスエピソードの振付・ダンスを担当。
近年は社会活動家としての顔も持ち、同じくダンサーのジョン・ブーズとともに 、「 身体表現を通して世界を変える 」 ことを目指すMOVEMENT ART I S ( M.A.I. )を立ち上げ 、ショートフィルムの制作やパフォーマンスの上演に取り組む。M.A.I. での活動は、Netflixドキュメンタリー・シリーズ「 M o v e - そのステップを紐解く- 」でも取り上げられている。現在 、NYのジュリアード音楽院のクリエィティブ・アソシエイツも務める。
<公開情報>
『リル・バック ストリートから世界へ』
ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺にて公開中ほか全国順次公開
監督:ルイ・ウォレカン
配給:ムヴィオラ
2019年/フランス・アメリカ/ドキュメンタリー/85分/DCP/カラー/原題:LIL BUCK REAL SWAN
(c)2020-LECHINSKI-MACHINE MOLLE-CRATEN “JAI” ARMMER JR-CHARLES RILEY
公式サイト:http://moviola.jp/LILBUCK/